普通な僕

会社で上司に今日は怒鳴られてしまった。嫌になるけど会社を辞めたら生きていく手段がない。帰りの電車に揺られて家に着いた。僕は布団に倒れて天井を見上げる。特別になりたかった。たったひとりの僕になりたかった。今すぐに。

でないと、僕の手足は無機質な螺子になってしまう。ふと、独り言を言う。はい。そうですか。

この口癖について考える前に瞼は重たくなった。


ドアのチャイムが鳴る。朝だ。正直、迷惑だと思う。ドアを開けると警察がいた。任意で話が聞きたいらしくパトカーに乗って警察署に行く。刑事と名乗る松田さんはがっしりとした体格に鋭い目つきをしている。僕は一連の出来事が現実味を帯びてきて怖くなってきた。


頭の片隅でもうひとりの僕は言う。


はい、そうですか。


警察は僕に様々なことを聞いた。僕は答える。ふと、腰のベルトが視界に入る。拳銃はやっぱり身につけているのだろうか。

僕が暴れたら撃たれてしまうのだろうか。


頭の片隅でもうひとりの僕は言う。


そうですね。


帰りは歩きだ。帰りに考える。僕は普通だ。僕は特別になりたかった。でも現実は違う。毎日、会社に行く。灰色の生活を送るサラリーマン。口癖は諦めきった言葉。ただそれだけ。それだけ.....


夜中にビールを飲む。今日は疲れてしまった。目をあげると女がいた。僕と目が合うと言った。


お前はそういう星並びなんだ。

ならば、

淡々と成せることを成せ。

気にくわないなら空を閉ざせばいい。


不思議と心に響く言葉だ。

いつもの口癖を言いかけて口籠る。


僕は朝になって唐突に家を飛び出した。何時間も電車を乗り継いで名も知らぬ駅に降りた。花山公園という看板のある公園に入る。空を見上げた。満点の星空に灰色の心が混ざる。夢も何もない空だ。


女が横に座っていた。

僕は空を見上げてぽつぽつ語る。


僕は何の取り柄もなく、ただ普通な人だった。成績も顔も経歴も、何もかも。でも、あなたの言葉で僕は目が覚めた。僕は僕の星の並びが認められない。嫌というほどに見て、それでも認められない。


僕はロープをカバンから取り出す。女はいない。僕は特別になりたかった。僕は認めない。


はい。そうですか。


そうですね。


空を飛びたい

名前すらわからない鳥だけど、自由に、誇らしげに、力ずよく、空を飛んで、くるくる、旋回していた。

わたしは足が途端に重たくなったような気がして、今なら目に見えないはずの重量すら目に見える気がした。

そして、私は、重量に縛られている。

縛られながら、この大地に立って生きているんだよねって、朝の空を力なく見上げた。

しばらく、風を感じて、身体に力を入れて、私は立ち上がる。

「翼があれば、戻れるのかな」

なんて切実に、翼を、願っている。

鳥が楽だなんて思っていない。

冬は寒い中で家でのんびりできないし、

台風が来たら、とかいろいろ考えなくても、あの子達はあの子達で一生懸命なんだ。

とっても、だからこそ、力強くて、私は惹かれるんだ。

私は最終の電車に逃げたの。

それで、切符握りしめて、がむしゃらに逃げてきたし、逃げ続けてきた。

ただ遠くに行きすぎてしまった。

たまにガラス窓から、降りた駅から、鳥を見ては、過ぎ去っていく。


受容するまで(沙月)

私は診断された病気について知識として最低限のことは知っていたし実感もしていたけれど、障害者であるという私を受容できていなかった。

よく覚えているあの夏の静かな病室で解離の疑いがあると言われたこと。

その瞬間に、

頭が真っ白になり、ジワリと汗が滲んだ。

ただ覚えているのは、その病名は私の病院では診断、及び、治療することはできませんよということだったと思う。

この病院は二件目でした。


一件目は、破壊衝動に耐えられなくなり、このままではヤバイと思い、半ば駆け込むように病院に助けを求めました。

最初の破壊衝動はバスに乗っている時で、ただ怖かった。

私が私の意に沿わない形で変容してしまう恐怖と、陽だまりに冷たい身体で縋り付く、そんな時期だったと記憶しています。

しかし、その病院では、形式的な対応のみで、緊急時の対応はして下さらず、私が倒れた時でさえ、淡々と時間はいついつに予約しましたよね、と返されました。

それが病院を変えた、色々他にもありましたが、一番の原因です。


そこから有名な医師のクリニックに行き、病名を診断され、私はより激しく燃えゆる地獄への一歩を踏み出しました。

この頃あたりから、色々要因はありますが、種に病名のせいで、家族との溝が深まり、悪意により疲れ果てていった私たちは症状は悪化していきました。

気がつけば刃物で腕を切るようになりました。

気がつけば大量の薬で現実から逃げるようになりました。

病的な衝動に苛まれました。

衝動的な行動を、私たちは抑制できず、何度か入院をしました。

入院生活はただ寂しく、夜の静まった病棟でテレフォン電話の暗く寒い部屋で立ち尽くしたのを覚えています。

関わる誰もが疲れて行きました。

私も、母も、知り合いも、少しずつ、周りから人が離れて行きました。

気がつけば、私の身の回りには、母しかいませんでした。

働けなくなりました。

働いている最中に片耳が聞こえなくなり、またふらつき、お客様に怒鳴られた私は倒れました。

翌日、私たちは色々あったけれど、やめました。

もう無理でした。限界でした。

さらに症状は悪化していきます。

薬で、リスカと、破滅への歩みです。

そんな中で彼に出会いました。

私にとって、儚くて、それでいて、力強くて、自分という核を持っている大切な人に。

関わってくださいました。

お話を聞いてくださった。


私たちもたくさんお話を聞いて、色々なことに気づいた。


真っ暗なばかりではない景色が見たい。

その想いから、私たちは必死に、私たちなりに学んできた、歩んできた。

そうして一年近く、入院もあった、odで倒れたのもあった、それでも、なお、諦めずに、必死に学び、掴み、考え、歩み、やっと、やっと、最近になって大きな一歩を踏み出せた。



「病気の受容」



ここまで来るのに数年を要した。

私はなんとなく治療を受け続け、漠然としたもやもやした感情を抱いていた。

今までの長い道のりは、一歩前に踏み出す為に必要な時間だったと考える。

と、ここで気がつくのは、相変わらず、真っ暗なまま。冬のまま。

それでも、私はと歩むし、歩み続ける。

自業自得

入院生活は悲しみしかなかったのを覚えている。どうしようもない疎外感を白く清潔な病室でぽつんと座っていると感じられた。詩集を読んで、私は空想の世界に逃げました。私は星海を泳いだり、雲の綿菓子を食べたりしましたけれど、たまに夢から覚めたように現実に引き戻される時があって、雨の止んだ世界のような静けさの中で、ぽっかり空いてしまった胸の虚ろな穴に何もかもが吸い込まれていくような気さえしました。私はスリッパを履いて廊下をうろうろと歩いては、受け入れてくれる何かしらを探していたのかもしれません。でも、病気を笑われた記憶、恥じる思い、迷惑をかけたくない、色々な想いが重なって結局は一歩も踏み出せなかった。私は差し伸ばされた手を、どれだけ拒んできたのでしょうか。私は悪い人だと思います。結局は自業自得なんです。

「エージェント・ウルトラ」を観て

主人公は弱々しい感じで守りたくなる系だとするならば、主人公の彼女は正反対の凛々しい守られたくなる系の女性という感じです。

ですが、実際は主人公は最強であるというこのギャップに萌えましたね。

それに彼女も強いのだけれど、たまに見せる弱々しい表情や仕草にこれまたノックアウトでした。笑

この作品は主人公が過去の経歴の為に命を狙われていく極限の状況の中で、少しずつ自分と向き合っていく作品のように思えた。

迷いもあれば、葛藤もあれば、恐怖もある中で、例えば、何故、私は人を殺める技術なんて持っているのだろうかという恐怖、彼は回り道をしながらも、自分について、問い続けます。だからこその、私はロッボトなのかという問いなのだと思う。その過程で実はCIAのエージェントだった彼女を信じられなくなりまりますが、主人公は自分と向き合い、それでも愛してるのだと、捕まってしまった彼女を救い出す為に単身で軍隊に乗り込んでいきます。

主人公はたしかに凄腕のスパイだけれど、やっぱり主人公は主人公で、おっちょこちょいで、いい意味でおバカなところを戦闘中でも見せてくれます。

そして、人間味溢れるところも...。

あやふやですが、同じ計画の中で唯一の成功者と、失敗者である、二人の戦いでは、主人公は彼の言葉を聞いて武器を下ろします。

私は計画において失敗者だったと...

君は成功者で、羨ましいと。

私は思わず泣きそうになりました。ええ。

記憶があやふやなので間違っていたら申し訳ありません。

ラストの軍隊に包囲されている中で告白して指輪を指にはめるシーンが一番好きでした。

そして、喜びも束の間、すぐに眠らされてしまうオチはなんとも主人公らしくて。笑

素敵な作品をありがとうございました。


闘病という選択。生き残るために。

私の命を脅かそうとするし、私を破滅へと導こうとする。それが私にとっての病だ。

私は解離性障害や鬱といった病を患っている。そして、これらの病の現象は本質的には他者による暴力を受け続けた、私の積もり積もった何かしらの形なのだ。だとするならば、世界とは楽園から程遠いではないか。私はずっと思っていた。この世界は地獄より酷いではないか。なればこそ、私は生き残るために、病を敵と見なさなければならない。でなければ、私は生き残れないだろうと直感的に感じる。何故というのに、私はこの世界の弱肉強食であるという原理を経験のうちに悟っているからではないだろうか。抗う意志のあるものは強者への一歩を踏み出しているのだと思う。闘争というパトスは常に抗うものを必要とする。何故というに、より強くなるために。

職場、人間関係、あらゆる全てにおいて、私は敵と見なすだけの意志が必要だった。牙を、爪を、鋭く磨くべきだった。それは今も変わらない。気をつけるべきは、病を憎しみや恨みの感情からではなく、敬意を表するに相応しい一つの対等な敵として迎え入れなければならない。何故というに、憎しみや恨みは強さから程遠い感情だからだ。私たちを虐げたクラスメイトに対して抱くこれらの感情は弱さに根ざしていたのを、私は知っている。

私が私として生きるを獲得する為には、私は病と闘わなければならない。

敵として打ち負かさなければならない。つまり、闘病という選択を自らの手で掴む必要がある。

そうして私は病と、病に苦しむ私を乗り越えて、私はより強くならなければならない。この世界で生き残るために。強さとはあらゆる危険の中で、危険を自覚した上で飛び込んでいき、闘争の中で己を磨く先に、己を輝かせた先に、見えてくるものだと、私は信じる。