闘病という選択。生き残るために。

私の命を脅かそうとするし、私を破滅へと導こうとする。それが私にとっての病だ。

私は解離性障害や鬱といった病を患っている。そして、これらの病の現象は本質的には他者による暴力を受け続けた、私の積もり積もった何かしらの形なのだ。だとするならば、世界とは楽園から程遠いではないか。私はずっと思っていた。この世界は地獄より酷いではないか。なればこそ、私は生き残るために、病を敵と見なさなければならない。でなければ、私は生き残れないだろうと直感的に感じる。何故というのに、私はこの世界の弱肉強食であるという原理を経験のうちに悟っているからではないだろうか。抗う意志のあるものは強者への一歩を踏み出しているのだと思う。闘争というパトスは常に抗うものを必要とする。何故というに、より強くなるために。

職場、人間関係、あらゆる全てにおいて、私は敵と見なすだけの意志が必要だった。牙を、爪を、鋭く磨くべきだった。それは今も変わらない。気をつけるべきは、病を憎しみや恨みの感情からではなく、敬意を表するに相応しい一つの対等な敵として迎え入れなければならない。何故というに、憎しみや恨みは強さから程遠い感情だからだ。私たちを虐げたクラスメイトに対して抱くこれらの感情は弱さに根ざしていたのを、私は知っている。

私が私として生きるを獲得する為には、私は病と闘わなければならない。

敵として打ち負かさなければならない。つまり、闘病という選択を自らの手で掴む必要がある。

そうして私は病と、病に苦しむ私を乗り越えて、私はより強くならなければならない。この世界で生き残るために。強さとはあらゆる危険の中で、危険を自覚した上で飛び込んでいき、闘争の中で己を磨く先に、己を輝かせた先に、見えてくるものだと、私は信じる。